人生反省日記

サボり気味人生を立て直すためにアウトプットの習慣をつけるためのブログ

半引きこもりが真面目に大学行き始めたら逆に時間に余裕が出来た

2018年の4月に大学に入って、しばらく真面目に大学行った後、夏休み頃に行かなくなってから2019年に入ってから、また真面目に行き始めてる。

 

さらにその前の2年間(2016-2018)はほぼ無職で毎日何もせず家で過ごしていた。

 

家にいる期間は、毎日、あてもなくネットサーフィンをして過ごす無職非エンジョイ勢だった(エンジョイ勢とかいるのか知らないけど、どうせ何もしないならある程度楽しみたかった...)

 

真面目に大学に行くようになって、家にこもってる時と比べて時間的余裕がなくなると思ってたけど、むしろその逆で、時間的余裕が増えた。

 

24時間のうちざっと10時間は大学と通学に取られるはずなのにそうなるのは、まず感覚的な時間のスピードが遅くなることが理由だ。

 

ネットサーフィンやってたら1時間、2時間なんてすぐに過ぎるけど、講義は(内容が興味のあるものであってさえ)なぜか長く感じる。

 

受け取る情報が、いくら早くとも人の喋るスピードくらいだから、情報の量が少なく処理が可能なので、早く新しい情報来ないかなーっとなって時間が遅く感じるのだろう。

 

一方、ネットサーフィンではぽんぽん新しいページが出てきて処理が追いつかないので時間が早く感じるのだ。

 

大学がある日は1日が長く感じるのはこれが理由だ。

 

さらに、元ニートあるあるなんだろうけど、家の外にいるとすぐ帰ってなにかしたくなる。普段は家にいても何もしないんだけど、外にいるときは帰って何かしたいという欲求が猛烈に高まる。実際外に出た日の方がMPが高まる。

 

引きこもってた頃はこんなことがよくあった。

 

完全に何もしない1日に軽く危機感を覚え、「何かやった」という事実を作ろうとしてストリーミング配信サービスでアニメを一本くらい見ようとするんだけど、20分スマートフォンから離れるということが無理に感じて結局見ない。

 

アニメを見れた日は無職なりに「よくやった」日になる、という真っ当な人間からしたら理解し難いであろう事態に陥ってた。

 

娯楽をやることすら面倒くさくなるという究極の怠惰を続けていた。

 

最近は大学で、例の元ニート特有の早く帰りたい欲を利用して、早く帰ってアニメ見たい、早く帰って映画見たいという感情そのまま家に帰って、アニメや映画を見ることができるようになった。

 

傍から見たら前より少しマシなクズでしかないんだろうけど、俺の中では娯楽を消費できるだけで前よりよっぽど真人間になれてると感じる。

 

元があまりにひどかったので、まだまだクズだけど毎日毎日、前よりいい日になってるような実感がある。

 

 

これいいことなのか悪いことなのかわかんねえな?

周りが成人式行かない奴しかいなかったので成人式は普通行かないものだと思ってた

高校卒業以降、約2名ほどの、居心地がいい相手としか関わらないで生きてきたので、成人式に行くというのが常識だということを知らなかったんだよなあ、行かないのが普通だと思ってた...

結局周りの人間の常識がその人の常識になるんだから、成人式に行くのが常識のコミュニティとそうでないコミュニティの違いにしかすぎないんだと認識して、行くかどうか決めればいいんだよ

わざわざ行かないことをおおっぴらに言う必要もない

文化の違いなんだから

違う文化も周りに迷惑かけてない限り認めるべき

認める認めない以前にそもそも他人のことに興味無いしな、他人のこと構ったら金貰える訳じゃないのになぜ他人のことを気にするのか、俺にはよくわからん

観光地価格が許せないから観光を楽しめない

観光客向けの、初見でも入りやすい配慮がなさされた代わりに値段が高くて、そんなに現地住民からの評価は高くないみたいな店に入るのに抵抗がある。ああいうのは、料理そのものというより、体験に対して金を払ってるんだと思うけれど、あまりそういうことに価値を見いだせない。

 

そもそも、肥大化した自意識が、観光客丸出しだと現地住民に馬鹿にされるんじゃないかと心配してしまう。

初めから観光に向いていないタイプの人間なんだと思う。

 

若者の旅行離れとか言われてるけど、ネットのおかげで観光客向け・現地住民向けの店が明確になってきていて、貧しい若者たちは現地に行くモチベーションがなくなってきてるんじゃないだろうか。インターネットで見てるだけで満足できてしまう。

ADHDに一日一食は向いてる

ADHDに一日一食は向いてる、と最近感じていて、自分なりに実践している

満腹になるまで食べることで得られる脳内麻薬が中毒になっていて、必要以上に食べてしまうことが多いということに気づいたからだ

 

食べる量を腹八分目くらいにしようとしても、いざ食事の時になると大量の食事を用意してしまい、毎回腹十二分目くらいになって後悔するはめになる。それをいくら繰り返そうとも学習できない。これはもう、脳が快楽を覚えていて、制御できなくなっているのだろう。脳の構造が違うんだから、直しようがない。

 

ならばいっそ、一日一回好きなだけ食べて

 

一日一食をライス食べ放題の家系ラーメン屋か、カップラーメン3個とかそういうので代替している。

 

朝食と夜食にそれぞれ鯖缶とかシーチキン缶、コンビニのカットサラダなどを食べてもいい。

 

全部含めて一日の食費を500円以内に抑えることができる。

 

メリットは他にもあって、羅列すると

1.食費の低減

先に述べた通り、一日500円くらいでもなんとかなる

2.皿洗いが必要ない

ADHDにとっては家事の最小化は大きなメリットになる。すすぎすらせずに放置して大惨事みたいなこともなくなる。

3.太らない、むしろ痩せる

やはり、体重は減る。いくら食べても減るので、我慢ができない人には最適のダイエット法。

4.体のだるさが消える

食後、血糖値が下がるときに頭がぼーっとしたり体がだるくなるので、それが減る。一日の中で意識が混迷している時間が少なくなる。

 

などなど、多くのメリットがある。

 

健康面が心配だけれども、個人的にはむしろ前より体調が良くなったように感じるので続けようと思っている。

 

プログラミング始めたいって5年くらい言ってる気がする

プログラミングやりたいってずっと言ってるような気がする、スキルどころか趣味も特技も全くない人間なのは、やりたいやりたい口では言ってても実際には1度もやらないで過ごしてきたからであって、それを俺は強く認識して、自分を変えなければならん。今度こそ真面目にプログラミングをやってみようという気持ちでいっぱいである。

 

ただ、やろうやろうって言ってるだけだったら、前と同じように三日坊主になるだけだろうから、ナマケモノ視点でやらなかった理由を分析したい。

 

まず、言語を選ぶ決断力がなかったことが一つ挙げられると思う。

 

ナマケモノ的な人間は、ろくに努力しないのに、効率には人一倍敏感だ。効率はいいに越したことはないだろうけど、結局やらなかったら実績はゼロな訳で、とにかくやってみないと意味が無い。

 

だけども、俺みたいな人間は努力の結果得られるメリットを常に把握していないと、近いところにある楽しみに負けてしまう。モチベーションを維持するためには目標を明確にしなければならない。完全入門者の癖にその言語を使うエンジニアの平均年収がどうとかそういうことが気になってしまう。

 

いろんなプログラミング言語があるけれど、ネットで初心者がやるべき言語みたいなのを検索すると、人それぞれまちまちな回答が書かれている。それだけならいいんだが、どの言語が優れているかについて煽り合いみたいなのをしてる人が結構いるので、どの言語もマイナスなことが書かれているとその時点でやりたくなくなってくる。脳内のリスク回避部門が、マイナスなことがあるなら何もしないで適当に過ごす方がいいよね〜みたいな判断を下して三日坊主になってしまう。

 

他に、文系だし二浪だし、サークルとかに入って教えてもらうのもなあというダサい感情もある。全く知らないなんて人が入ってきたらサークル側も困るんじゃないかとか考えてしまう。2年遅れでも同級生とは普通にやれるんだけど、先輩後輩が絡んでくると向こうも扱いづらそうな感じはある。

 

以上のことを勘案すれば、とにかく適当に簡単なプログラミング言語を学習サイトで学んでプログラミングを少しは知ってるくらいの状態になって、それからその知識をもとに深く勉強する言語を選ぶべきなのだと思う。それからサークルに入るのもいいんじゃないだろうか。

 

そうなるとRubyとか言うやつがいいんでしょうかね。細かいこと考えるとまた脳がサボる理由を考えつきそうなので今すぐ登録するわよ!

 

無職期間を「あの日々があったから」とか言って誤魔化すのは負け

私は2年ほど、虚無が支配する生活を続けてきた。文字通り「何もしない生活」。朝起きて夜寝るまでネットサーフィンばかりして時間を潰してた。こんな最低な生活だったけれど、案外その生活をしていた頃は危機感とか、焦燥感とか、そういうのはなかった。

 

ニートはお気楽なようで辛いんだよ」みたいな定説があるけれど、俺にとってはそれは当てはまらなかった。

 

むしろ、危機感や焦燥感を感じない体質だったからこそニート的生活に落ちてしまったというのが実際のところだろう。客観的、というか世間一般から見た俺の姿はかなり悲惨だったんだろうけど、俺は負け惜しみでもなんでもなく、あの生活は苦じゃなかった。ただ、若い2年間を楽しめたかと言うと、そうではなかった。

 

アニメや映画を見る気力すらなく、膨大な時間をただただネットサーフィンをしたり、何度も聞いてるお気に入りの曲をリピートして過ごしていた。どうせ時間を無駄にするなら、楽しんでいた方がマシだったんじゃないかとか思う。暇な時間が永遠にあった癖に、ポピュラーカルチャーへの教養が薄すぎる。

 

この2年間はなんだったのだろうか

今更になって、少し焦りみたいなのがなくもない

その焦り・不安感を解消するために、「あえて2年間遅れることで人生により真面目に取り組むことができる」とか、「レールに外れたことで謙虚に生きることができる」無理矢理メリットを見つけ出そうとしている自分がいる

 

でも、そういう風に無職期間を取り戻そうとして、価値をひっくり返してプラスの方向にもって行こうと考えてる時点で負けなのではないだろうか、と俺は思う。どうやっても2年間は戻ってこないんだから、それを取り返そうと思っても意味が無い。「あの日々があったから今の自分がある」みたいな言葉で誤魔化すのはむしろ後暗さをひしひし感じてる気がしてなんかいやだ。

 

2年間何もせず無駄にしたという事実を、そのまま事実として受け入れるしか道はない。それを自然にできるようになった時こそ、2年間を総括できたことになるんだろう。そう考えるとまだ2年間の総括はできてないことになる。いつ頃になるんだろうか。案外老後とかまで引きずってそうな気がする。

 

まあこれだけは言えるのは、苦痛の少ない引きこもり生活しててもあとから後悔することがあるから、現役の人はそれを知っておいて損はないんじゃないかなということ。引きこもり期間の長い短い年齢の高い低いで条件は変わると思うけど、あくまで俺の場合は「軽く後悔」って感じですね。

 

以上

駄記事でいいから100記事書くチャレンジしてみる

このブログではデザインとか完全無視して、推敲もせず書きなぐった適当な文章をどんどん垂れ流していこうと思っています。

「何もしない」ことがずっと続いてきたので、クオリティの低いことでもある程度続けて達成感を得ることで行動力をつけようと思うので。

 

社会復帰のための道具としてブログを使ってみる、という発想ですね。

100記事行かなかったら笑ってください。

 

という200文字足らずの糞記事をいまここに投稿します。