無職期間を「あの日々があったから」とか言って誤魔化すのは負け
私は2年ほど、虚無が支配する生活を続けてきた。文字通り「何もしない生活」。朝起きて夜寝るまでネットサーフィンばかりして時間を潰してた。こんな最低な生活だったけれど、案外その生活をしていた頃は危機感とか、焦燥感とか、そういうのはなかった。
「ニートはお気楽なようで辛いんだよ」みたいな定説があるけれど、俺にとってはそれは当てはまらなかった。
むしろ、危機感や焦燥感を感じない体質だったからこそニート的生活に落ちてしまったというのが実際のところだろう。客観的、というか世間一般から見た俺の姿はかなり悲惨だったんだろうけど、俺は負け惜しみでもなんでもなく、あの生活は苦じゃなかった。ただ、若い2年間を楽しめたかと言うと、そうではなかった。
アニメや映画を見る気力すらなく、膨大な時間をただただネットサーフィンをしたり、何度も聞いてるお気に入りの曲をリピートして過ごしていた。どうせ時間を無駄にするなら、楽しんでいた方がマシだったんじゃないかとか思う。暇な時間が永遠にあった癖に、ポピュラーカルチャーへの教養が薄すぎる。
この2年間はなんだったのだろうか
今更になって、少し焦りみたいなのがなくもない
その焦り・不安感を解消するために、「あえて2年間遅れることで人生により真面目に取り組むことができる」とか、「レールに外れたことで謙虚に生きることができる」無理矢理メリットを見つけ出そうとしている自分がいる
でも、そういう風に無職期間を取り戻そうとして、価値をひっくり返してプラスの方向にもって行こうと考えてる時点で負けなのではないだろうか、と俺は思う。どうやっても2年間は戻ってこないんだから、それを取り返そうと思っても意味が無い。「あの日々があったから今の自分がある」みたいな言葉で誤魔化すのはむしろ後暗さをひしひし感じてる気がしてなんかいやだ。
2年間何もせず無駄にしたという事実を、そのまま事実として受け入れるしか道はない。それを自然にできるようになった時こそ、2年間を総括できたことになるんだろう。そう考えるとまだ2年間の総括はできてないことになる。いつ頃になるんだろうか。案外老後とかまで引きずってそうな気がする。
まあこれだけは言えるのは、苦痛の少ない引きこもり生活しててもあとから後悔することがあるから、現役の人はそれを知っておいて損はないんじゃないかなということ。引きこもり期間の長い短い年齢の高い低いで条件は変わると思うけど、あくまで俺の場合は「軽く後悔」って感じですね。
以上